皮が革になる時―自然が隠した力を人間が引き出す「鞣(なめ)し」の世界へ

皮が革になる時―自然が隠した力を人間が引き出す「鞣(なめ)し」の世界へ

陶器が土からできていると知っていても、その作られる過程を意識する人は少ないように、「本革」の鞄が動物の皮でできている事は誰もが知っていても、どのようにしてその美しい姿になったか、想いを馳せる人は少ないかも知れません。本稿では、皮を全く新しい「革」として生まれ変わらせた人類の魔法ともいうべき技術について、考えてみたいと思います。

1.本物を求める心

建築や家具の世界では、今や金属や合成素材を使い、木材なしでいくらでも素晴らしいものを作る事ができるようになったにもかかわらず、敢えて木材を選ぶ人々がいます。
同じように、合成皮革、人工皮革が登場して以来、本革よりも扱いやすく優れた特性を持った製品が多くのメーカーの主力となり、世界中で活躍しているにもかかわらず、「本革」を選ぶ人々が依然存在しているのです。
合成素材の出現と台頭によって、「本物」の価値が見直されたというのも確かですが、高級だからとか、という理由で買い求める訳ではない。現代では、貧しいながらも最低限必要な生活用品にお金をかけ、本物を愛用するという人も増えています。

木材に関しては、例えば漆器を考えてみます。本体の木材も、塗料も、樹木なしでは存在し得ませんが、人間なしでは器の美しい造形も、塗料の見事な色彩と光沢も、世に出る事は決してありませんでした。樹木を伐採し、その生命を奪う事は罪だけれども、その生命によって自然では生み出し得ない物を生み出す事で、人間は世界での存在意義を得る、つまり存在する事を許されるのではないかとさえ思われるのです。
革製品も、全く同じです。人間は、牛や豚、羊や鹿を屠り、肉として食べ、これを楽しみます。その行為は一瞬ですが、彼らの皮膚はそこで終わりを迎えません。剥がした皮をそのまま使えば、腐るか、スルメのように硬くなるかして朽ちてしまいますが、「鞣す」という工程によって全く新しいモノとなって生まれ変わり、生きて歩いていた状態の頃よりも遥かに長い年月を存在し続ける事ができます。これもまた、自然あっての素材ながら人間なしでは生まれ得なかった優れたモノであり、人間の存在意義を証明してくれるなのです。一度本物を手にし、愛用した人間には合成や人工の革製品との違いは瞬時にわかるもので、本物を手にすることなしには、人間が動物の命を奪い、その奪った命を使って全く新しいモノを生み出す、その力と意味に想いを馳せる事はできないでしょう。

2.鞣す、とはどういう技術か

皮を鞣して革とする、その方法は「発明」と呼ぶにはあまりにも多くの人々が長い年月試行錯誤を重ね、ようやく確立してきた苦心の賜物ともいうべきものでした。
古代、人類は皮を自らの歯で噛み伸ばす事で身に着ける衣類を快適に且つ長く使える物にしようと苦心しました。縄文時代の人々の歯が極端に磨耗していたのは、当時の硬い物を食べる習慣とともに、この皮鞣し作業が日課としてあったためと考えられています。
その後、魚や肉を燻すと長く保存できる事を知った人々が、煙で皮を燻し加工する方法を編み出します。これが燻煙鞣しで、煙の中に発生するアルデヒドやポリフェノール化合物を利用し、皮のたんぱく質と結合させる事で成功させていたと考えられます。また燻煙中に付着した脂肪が皮に浸透し、これを柔らかくさせる事が知られると、魚の油や卵、脳漿や肝油などを皮に塗布して処理する方法も考案されます。これら原始的な手法は近年見直され、復活している技術もありますが、現代における主流は植物由来の成分による「タンニン鞣し」と塩基性硫酸による「クロム鞣し」の2つとなります。

3.タンニン対クロム 正反対の特徴

鞣しを一言で表せば、皮のコラーゲン繊維を含むたんぱく質成分に鞣し剤を結合させ、安定した物質である「革」に変化させる事。革となる「原皮」をまず塩漬けにして保管、その後塩分とともに付着していた体毛や肉片・脂肪が取り除かれていよいよ鞣し剤にさらされる工程に移ります。
タンニン鞣しは紀元前600年頃にエジプト周辺を起源とする手法で、柿や緑茶に多く含まれる渋み成分・タンニンを使用します。工程も多く手間もかかるので、全行程をタンニンで行う企業は希少となっています。

クロム鞣しは紀元前3000年頃からあるとされるアルミニウムによる手法を発展させ、百年ほど前にドイツで確立された技術です。日本と海外では鞣しの工程で使う水が軟水か硬水かの違いで製品に影響があり、また鞣し剤の調合にも国、更には企業それぞれで違いが出てくるので、タンナーと呼ばれる技術者の腕とオリジナリティの見せ所となります。

この二つの鞣しの手法は、全く違った特徴を完成した革にもたらします。タンニン鞣しが施された革は黄色から赤、茶色の色調を帯び、使用者の身体に合わせて変形して使い込む年月の間により柔らかく、独特の色合いや艶を増します。まさに本革の魅力を最大限に引き出す手法ですが、一方で雨に弱く、こまめな手入れが必要であるなど、古来のデメリットも併せ持っており、製品に対する愛着がより求められる革と言えるでしょう。
クロム鞣しを施された革の特徴は、より現代的です。緑や青の色調を帯びたその革は周囲からの影響に強く耐熱性・弾力性に優れており、頻繁な手入れを必要としない事からも、本革ながら合成・人工皮革に迫る性能を備えた製品と言えるでしょう。一方で、タンニン鞣しほどのエイジングの楽しみは味わえず、また工程に重金属を使用する事からアレルギー体質への注意が必要など考慮する点もあります。

4.第3の技術?登場

いずれも正反対ともいえる素晴らしい長所と、要注意事項を併せ持つタンニン鞣しとクロム鞣し。両方のいいところ取りの鞣し手法はないのか?と思いますが、まさにそれを実現に近づけた技術があります。
それが『脱クロム』。まず皮にクロム鞣しを施して強さや弾力を与え、その長所が残る臨界点までクロムを除去、その後タンニン鞣しを重ねるという手法。革の鞣し技術が集積する姫路の地にて考案されたこの技術により、タンニン鞣しが生む生き物への愛着と、クロム鞣しが生む強靭なモノへの信頼を両方感じる事ができる、ハイブリッドレザーが誕生したのです。

5.まとめとして

樹木が木材となるように、一度死んだはずの生命体が、人間の手によって全く別の生命体に生まれ変わる、動物の皮革。それをどう生かし、どう変身させるか。その完成品をいかにして発見し、使い育てていくか。革に魅入られた人間の魔法に、終わりはないのかも知れません。